マイナス金利は、物議の対象となりやすい。2020年はパンデミックによる世界経済への多大な被害が明らかとなっているため、FRB(米国連邦準備制度)を含む多くの中央銀行に対して、短期金利をゼロ以下に引き下げるよう求める圧力が続くと考えられる。もちろん、これに反対する意見も顕著となるだろう。
本稿では、マイナス金利の賛否両論をより鮮明に理解するため、事実としての市場反応を考察する。市場としては、外国為替(FX)市場にその証左を求めることにする。学術文献と実務家の文献、その両方で、FX取引は通貨ペアにおける金融政策の違い、成長や貿易の流れ、インフレに関する相対的な見通しを評価したもの、とされている。ここで我々が提起するのは、マイナス金利に関するFX市場の示唆は何か、ということである。
最初に、FX市場が特に優れた経験的証左である理由を詳細に論じ、さらに、マイナス金利の影響や導入の背景を検討し、その実験を行った4つの中央銀行を見ていく。予想される結論は:
FX市場は、ある通貨と別の通貨の相対価格を決定する。そのため、金融政策、経済成長、インフレ、貿易の流れ等が通貨価値にどう影響するかという観点で為替レートを研究した文献は多い。デビッド・ヒューム (1741, 1758)1 は、マネーの流れと為替レートへの影響に関する初期の文献を残していて、マネーサプライの人為的な増加がインフレと通貨の弱体化につながると主張した。ヒュームは、お金(彼の例では水)が各国間で流れ、各国の「芸術と産業」に適した水準を見つけるため、為替政策は経済成長を促進するための役には立たないと主張した。
通貨政策と為替レートの関係についての現代的な見地は、ノーベル賞受賞者のロバート・マンデル(1960, 1961, 1968),2 の研究を基礎として、ジェイコブ・フレンケルやハリーG.ジョンソン (1976),3 、アート・ラッファー(1969);4 さらに、こうした研究をスティーブン・マックギー (1976)5が要約・発展させ、ブルフォード・プットナムやサイクス・ウィルフォード (1986).6による論評でも検証されてきた。収支へのマネタリー(貨幣的)アプローチとして知られるこの一連の研究は、為替レートが対米ドルで固定され、米ドルが金に固定されていた1960年代に始まったものである。ここでは、一部の国の中央銀行が外貨準備を減少させる一方で、他の国が外貨準備を増加させる理由を理解することに重点が置かれていた。しかし1970年代初頭、為替レートが米ドルから切り離され、それぞれに独立して変動し始めると、為替レートの動きそのものが強い関心を集めるようになった。1970年代初頭には、CMEが、金融先物商品として最初に成功することになる通貨先物の上場を開始している。マネタリー・アプローチの研究は、FX市場の変化と共に、為替レートの決定に焦点を合わせる方向にシフトしたのである。
理論的概念の主要部分は、固定為替レートの下での外貨準備のフローと変動為替レートの下での為替レートの動きによって、各国の相対的な魅力と経済成長の見通し(つまり、成長の速い国は資本を引き付ける)と金融政策(つまり、より高い金利で引き締め的な金融政策は資本を引き付ける)の均衡がもたらされる、とするものである。1970年代と1980年代に物議を醸したのは、貿易収支の役割だった。マネタリー・アプローチは、資本の流れが貿易の流れを圧倒するとして、デビッド・ヒュームがそうだった様に、全体として解釈される異なる経済の相対的な魅力に焦点を合わせるべきだ、と主張した。その後の研究では、輸出への依存度が比較的高い経済では、経済成長との関係が高まることにより、為替レートの決定において貿易フローの重要性が高まる(つまり、輸出が増えると経済成長が加速し、通貨の上昇につながる)ことが確認されている。
マネタリー・アプローチを支持する実証的な証拠は、1970年代と1980年代初頭、マネーサプライの定義とその測定が容易になったことで、納得しやすいものともなった。 ただし、1980年代と1990年代後半には、当座預金への付利が始まり、投資から貯蓄、さらに当座預金の間でマネーが自由に動き、クレジットカードが現金に対する市場シェアを上げたことなどから、マネーサプライの統計的意義が崩壊する。支払い(決済)手段の構造変化に関するこうした進展は、マネーサプライとインフレ、経済成長、および為替レートの関係を排除するものとなったのである。実証研究はその後、イールドカーブ(利回り曲線)の形状を用いて、金融政策の相対的な緩和と引き締めを評価する段階に移行する。 (エリック・ノーランドの2019年12月のレポート「Which Yield Curve Foretells Growth Best?」は7 こちら)。短期金利が長期債利回りを下回るとき-正の方向に傾斜した利回り曲線であれば-金融政策は緩和的であると見なされる。一方で、短期金利が長期債利回りを上回るとき、フラットまたは逆イールドカーブは、金融政策の引き締めを示すとされる。
為替レートの主要な考え方では、他の条件が同じであれば、より緩和的な金融政策への政策転換は、その通貨の下落、またはそれが上昇傾向にある場合、その上昇スピードには減速が見込まれる、とされていた。その逆も同様で、より引き締め的な金融政策への政策転換は、その通貨の上昇、またはそれが下落傾向にある場合、その下落スピードには減速が見込まれる、とするものだった。
従って、マイナス金利をテーマとする本稿では、以下の疑問が生じてくる。中央銀行がマイナス金利の導入を発表し、これを実施した場合、為替レートの反応はどうだったか?
ECB(欧州中銀)、BOJ(日銀)、SNB(スイス国立銀行)、リクスバンク(スウェーデン国立銀行)の4行は2010年半ば以来(図1)、最大で0.75%の金利を預金に課すなど、マイナス金利の実験を行ってきた。これらの中央銀行によるマイナス金利の実験は、満たされない共通の案件から生じている。4行は全て、景気回復のペースと、目標を下回り続けるインフレ率を懸念としていたのである。商業銀行の中央銀行での預金に課金することで、銀行システムに一段の与信拡大をもたらし、経済回復を加速させ、インフレ率を目標水準に押し上げることが期待されたのである。
そこには、預金金利のマイナス化で、一段と力強い実質成長とより高水準のインフレ率が達成されると期待された、2つのシナリオがあった:
この2つ目のポイントは重要で、実際、強い通貨よりも弱い通貨の方が、よりハイペースの経済成長と高いインフレ率を実現しやすい。しかしながら、マイナス金利による自国通貨の弱体化への期待が、大声で表明されることは皆無である。意図的に自国通貨を安値誘導することによって国内経済の問題に対処する、または競争を有利にしようとする近隣窮乏化政策は、他国政府の眉をひそめさせることになる。
ただ、実際には、マイナス金利を導入した中央銀行が、預金金利をマイナスに設定することで自国通貨の弱体化を望んでいると明言したとしても、貿易相手国はこれを特に憂慮する必要もなったのである。マイナス金利は通貨の価値を損なう、と思われるかもしれない。結局のところ、お金を貸す特権のために借り手にお金を支払う必要がある通貨で、誰が預金したいと思うだろうか?それでも、資産と負債の区別を曖昧にしているにも係わらず、マイナス金利導入に際して、通貨は、弱含むのではなく、強含む場合が多く見られる。
4つの中央銀行がそれぞれマイナス金利を導入した直後の数日と数週間では、それぞれの通貨は – 程度の差こそあれ、強含みとなったのである。(図3,4,6,8を参照)長期的には、マイナス金利以外の要因が作用してくるため、状況は一段と複雑化する。
マイナス金利を導入した4つの中央銀行では、BOJとSNBの2行の場合で、即時的な自国通貨の上昇が見られる(図5,9)。一方で、ユーロは0.10%のマイナス金利を導入した当初の数週間に上昇を見せたものの、欧州の銀行のストレステストを取り巻く不確実性、さらにECBがその後、積極的な資産購入に動いたことなどから、急速な反転を見せ、下落する結果となっている。2017年から2018年初期に上昇期があるものの、興味深いことに、これはユーロの預金金利がマイナス0.40%へ、一段と引き下げられた数ヶ月後のことである(図3)。
ユーロと同様に、スウェーデン・クローナでは、同国中銀のマイナス金利導入に伴って、即時的で短期的な上昇が見られた。ただし、その後直ぐに、スウェーデン・クローナ(SEK)は、マイナス金利の下で大きな下落を始めている。留意しておくべきなのは、マイナス金利導入以前のSEKの下落ペースが、この下落よりも急速だったことである。マイナス金利導入後もSEKは下落を続けるが、そのスピードはより緩慢なものとなっている(図7)。2019年12月16日、スウェーデン中銀はマイナス金利政策から最初に、そして現在までのところ唯一、撤退した中銀となった。ただし、マイナス金利政策終了を受けても、SEKの急伸は見られなかった。反対に、スウェーデン中銀のマイナス金利政策終了から5ヶ月間に、SEKは対EUR(ユーロ)で2%、対米ドル(USD)で5%、対スイス・フラン(CHF)で6%、それぞれ下落したのである。
スウェーデンの場合は、特別なケースでもある。第1に、スウェーデンの貿易の約半分はユーロ圏やスイス、デンマークで占められ、デンマークは対ユーロで為替を固定している状況でもある。過去、GDPの7%にも達していたスウェーデンの貿易黒字は、ユーロ圏が貿易黒字に移行するなか、緩慢に、しかし確実に、GDPの約2%まで縮小している。マイナス金利とは関係なく、この要因だけでもおそらく、SEKの実効為替レートの下落を説明することが出来る。しかし、ここで指摘できるのは、マイナス金利が導入される以前からSEKが急速な下落基調にあったことであり、その後、預金金利が50bpt(ベーシスポイント)ゼロ%を下回る水準まで引き下げられる中、その下落スピードが大幅に減速したことであり、マイナス幅が25bptに引き上げられ、そして最終的にゼロ%へ戻される課程で、SEKが一段と急速な下落を再開させた事である。そうしてみると、スウェーデンの場合は、本稿のポイントを証明する反例なのかもしれない:他の全ての条件が等しいとすれば、マイナス金利によって通貨は、弱含むのではなく、強含む傾向がある。(エリック・ノーランドの「Sweden’s Experiment with Negative Rates」CMEグループ、2020年5月を参照する https://www.cmegroup.com/education/featured-reports/swedens-experiment-with-negative-rates.html)8
この答えは、与信拡大や資本形成、金融市場、銀行システムに対して、マイナス金利がどう影響するかにある。例えば、ユーロ圏の銀行は2019年、預金金利としてECBに76億ユーロを支払っている。さらに、マイナス金利導入以来、ECBが預かる預金口座の金額は、減少するどころか、増加しているのである。
著者を含めて、アナリストの多くは9 (関連するレポートはこちら) マイナス金利が最初に導入された当時、これが銀行システムに対する課税として作用すると考えていた。マイナス金利の全コストを顧客や預金者に銀行が転嫁するとは考えられないので、これによって銀行は与信の拡大に一段と慎重になると予想された。
さらに、中央銀行からは、これを助長する示唆もあった。マイナス金利の導入は、経済成長の見通しに関して中央銀行が悲観的であることを示すものでもあったからである。この悲観見通しは、投資家や銀行に、消費や成長見通しが乏しい経済への投資ではなく、些少のコスト(例えば預金税として)を払ったとしても、資金の温存を助長させた可能性がある。
興味深いのは、期待通りに機能しないという証左があるにも係わらず、世界がパンデミックに起因する深刻な不況に突入しているなか、マイナス金利が引き続き活発に議論されると予想されることである。もちろん、マイナス金利に関しては、ECBの理事会で議論が分かれる部分がある。米国では、FRB議長と地区連銀の総裁の多くが、マイナス金利は米国にとって適切ではないとの考えを表明している。実際、パウエルFRB議長は2020年5月、「私も、そしてFOMC(連邦公開市場委員会)委員達も、マイナス金利は、おそらく米国にとって適切、または有用な政策ではないと、引き続き考えている」と述べている。10
例えば、マイナス金利について尋ねられたシカゴ連銀のチャールズ・エバンス総裁は、「米国で使用されるツールになるとは思っていない」と発言している。また、セントルイス連銀のジェームズ・ブラード総裁は、マイナス金利の導入は「問題を誘発する」と指摘し、「…(欧州や日本でのマイナス金利が)有効だったかは不明確であり...他の手法を用いることで状況に対応することが可能」としている。さらに、アトランタ連銀のラファエル・ボスティック総裁は、マイナス金利は「選択肢の中では、有効性が低いツール」であるとの見方を示している。11 一方で、ミネアポリス連銀の元総裁がマイナス金利の支持を表明していることも、ここでは付け加えておく。世界の中央銀行の多くがそうである様に、困難な現状を抱えて、マイナス金利の導入を考えていないとしても、FRBは全ての選択肢を用意しておきたいと考えているのである。
マイナス金利の議論は、先物やオプションなどの市場でも、継続的に行われている。CMEで上場されている米国のフェデラル・ファンド金利先物では、価格が100超となっていて、マイナス金利が示唆されている。また、3ヶ月物ユーロドル金利のコール・オプションには(マイナス金利を示唆する)100超の行使価格も設定されていて、この水準では既に建玉が存在している。一部の市場参加者は、マイナス金利が導入された場合に利益が生じるコール・オプションを喜んで購入し、そのリスクを抱えているのである。
本レポートに掲載された例は、いずれも状況を仮定的に解釈したものです。あくまで説明のために使用しています。このレポートに記載されている見解は著者自身のみによるものであり、CME Groupや付属機関の見解を必ずしも表しているものではありません。本レポートおよびその内容を、投資の助言または実際に市場で経験した結果として受け取らないようにしてください。
Bluford “Blu” Putnam(ブルフォード“ブル”パットナム)CMEグループ・マネージング・ディレクター兼チーフ・エコノミスト。中銀の政策分析・投資調査・ポートフォリオ管理を中心に金融業界で35年を超える経験を持つ。2011年5月より現職。世界経済情勢に関する情報発信で中心的な役割を担う。
Bluford Putnam(マネージング・ディレクター兼チーフエコノミスト)のレポート をさらに見る。
Erik Norlandは、CMEグループのエグゼクティブディレクター兼シニアエコノミスト。世界の金融市場に関する経済分析の責任者であり、最新のトレンドと経済要因を評価することで、CMEグループのビジネス戦略、および当グループの市場で取引を行う顧客への影響を分析します。CMEグループのスポークスパーソンの一員でもあり、世界経済、金融、地政学の情勢に関する見解を発信する。
Erik Norland(CMEグループ エグゼクティブディレクター兼シニアエコノミスト)によるレポートを さらに見る